|
劉 茂(りゅう も/りゅう ぼう、生没年不詳)は、三国時代の魏の政治家・武将。楚の元王の劉交の後裔とされ、東晋の侍中劉隗の祖である〔唐長孺の『魏晋南北朝史論拾遺』の王敦の言より。〕。一族に帯方太守劉夏など〔。 ==生涯== 彭城郡(現・江蘇省徐州市)の人〔。正始年間に楽浪太守となった。 正始6年(245年)帯方太守弓遵とともに高句麗の支配下に入った濊を討伐した。間もなく濊の首長不耐侯らは配下の邑落を挙げて、劉茂に降伏した。 正始8年(247年)に不耐侯は魏に朝貢して、勅命で不耐濊王に封じられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉茂 (楽浪太守)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|